2024年10月24日木曜日

傑作集『世界の納豆をめぐる探検』作者のことば

未知の納豆ワンダーランド


高野秀行

 「謎」や「未知」を求め、アジア・アフリカ・南米などに残る辺境を歩き回って早30数年になる。自分の足と目を使って辺境にある未知の土地や民族、あるいは謎のものを探すのが生き甲斐であり、生業である。広い意味で「探検」とも言える。

 だが最近、この探検はどんどん難しくなってきた。インターネットと携帯電話の普及により、世界全体が高度情報社会時代に突入、探検すべき場所やものが激減しているのだ。たいていのものはネットで検索すると、詳しい情報や画像や動画まで出てきて、わざわざ現地へ行く必要もなく、それが何かわかってしまう。

 これでは私の生き甲斐がなくなってしまうじゃないか。いや、それ以前に失業してしまう!! と悲鳴をあげたくなったところで、ふいに出くわしたのが納豆だった。

 驚いたことに、納豆は「未知の大陸」だった。納豆はあまりにもありふれており、値段も安いので、日本を含め、どこの国でもあまり熱心に研究されていない。値段が安い=価値がないと思われているのだ。実際、これが酒だと国や企業から予算がつくので研究は桁違いに活発になる。だから納豆に関する論文や書籍も極端に少ない。日本の納豆とアジアやアフリカの納豆を比較する人もほとんどいなかった。それが同じ「納豆」であることすら、日本人に知られていなかったほどだ。

 また、アジアやアフリカの諸国では、納豆のような伝統食品はネット上の情報もひじょうに限られている。なぜかというと、ネットに情報をアップするような人は、都市部に住んでいるか若い人かのどちらかで、そういう人は納豆みたいな伝統食品の作り方など知らない。そして、納豆を自分で作っているような人は田舎に住んでいるか高齢者であり、ネットなんか使っていないのである。

 そして、とどめは味と香り。その食べ物が納豆であるかどうかは画像や動画を見てもいっこうにわからない。発酵していると言っても味噌やチーズの類いかもしれない。でも、自分でそこへ行き、匂いを嗅いで味見してみれば一発でわかる。納豆は世界中どこでも、匂いを嗅げば「あっ、納豆!」と納豆を知る人になら誰にでもわかる。食べればなおさらわかる。

 このような条件が重なり、納豆は高度情報社会の現代において、まさに手つかずのワンダーランドとなっていた。私は7年もの間、この未知なる世界を探検しまくったのだが、それは本当に幸せな時間だった。今回、スケラッコさんの素晴らしい絵とともに、その探検行を読者のみなさんと共有することができ、心から嬉しく思う。





作者紹介

高野秀行

1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍中に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」。『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と梅棹忠夫・山と探検文学賞を、『イラク水滸伝』(文藝春秋)で植村直己冒険賞とBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著書に『巨流アマゾンを遡れ』『ワセダ三畳青春記』(ともに集英社文庫)『謎のアジア納豆』(新潮文庫)『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。



◎ご購入方法など本の詳細はこちらをご覧ください◎

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7612

 

2024年10月3日木曜日

11月号『となりにすんでるクマのこと』作者のことば

作者のことば

クマのとなりでくらすこと                

菊谷詩子

 

 初めて野生のクマと出会ったのはアラスカでした。キャンプ場の近くを歩いていると、突然ヒグマの亜種のハイイログマが現れ、ズンズンこちらに近づいてきました。とっさに何もできずにただ突っ立っている私の目の前をクマは悠々と通り過ぎ、近くの木に背中をゴシゴシとこすりつけた後、去っていきました。その大きさと波打つ筋肉を見て、絶対に敵わないと思ったのを鮮明に覚えています。

 実は軽井沢に来る前、ヒグマより小型のツキノワグマはヒグマほど怖くないだろうと甘くみていました。ところが人身事故の数を見ると、日本ではツキノワグマの被害の方がヒグマより多いのです。クマの専門家の話によると、ツキノワグマは臆病で、人とばったり出会うと、身を守るために攻撃に転じやすいと聞きました。全然甘く見てはいけない相手でした。軽井沢は森の中に別荘が点在し、森と人里との境界を引くのがとても難しいところです。クマとのバッタリ遭遇がいつ起こってもおかしくありません。しかし、ここにはクマの専門家集団がいます。クマの追い払いに同行した際、犬の吠え声に何事かと別荘の持ち主が様子を見に出てきたことがありました。田中さんは、追い払っているクマは何という名前のどんなクマなのか、どのように追い払いをしているのかなど、時間をかけて丁寧に説明しました。クマと聞いて少し強張った表情だった別荘の方も、話を聞くにつれ表情がほぐれ、別れ際に「クマも山で寿命を全うできたらいいね」と言ってくれました。クマの専門家の存在は頼もしく、大きいと感じた瞬間でした。

 自然とうまく付き合うには、相手を知ることも重要です。町内の小学校では毎年5月から6月、クマチームによるクマ学習が開催されます。1年生はクマに出会った時どうするか教わります。学年が上がるにつれ、町内にはどんな野生動物が住んでいてどのように暮らしているか、調査のやり方や関わり方、町内での管理体制についてなど、野生動物と共存していくことを6年かけてしっかり学びます。目指すのは人と野生動物の緊張感のある住み分けです。意識的な餌付けはもちろん、無意識の餌付けに気をつけるのが大事です。問題を起こすクマを生み出さないように未然に防ぐことが、私たちだけでなく、クマを守ることにつながるのです。その取り組みに感銘を受け、全国の子どもたちにクマ学習を届けたいと思ったのが、この絵本を作るきっかけです。


作者紹介

■ 菊谷詩子 文・絵(きくたに うたこ)

幼少期をケニアとタンザニアで過ごしたことをきっかけに、動物学者を目指して東京大学の博士課程に進むも絵の道を目指して中退。カリフォルニア大学でサイエンスイラストレーションを学ぶ。科学雑誌、図鑑、教科書、博物館の展示などのイラストを制作している。2002年ボローニャ国際絵本原画展(ノンフィクション部門)入選。絵本では『いぬのさんぽ』(「かがくのとも」通巻492号)、『食べられて生きる草の話』(「たくさんのふしぎ」通巻367号)、『9つの森とシファカたち』(同415号、以上福音館書店)がある。


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