ふしぎな素粒子の世界
藤本順平
素粒子には「粒子」という文字が入っていますが、
絵本の中で、原子の中では、プラスの電気を持つ原子核と、
そこで、物理学ではこの変な性質を持つ素粒子に、「粒子」
とても小さくて、
ふしぎな素粒子の世界
1月号『あっちゃんのおせち日記』作者のことば
毎日食べているものの中で、例えば野菜。その野菜が、どんなところで、どんなふうに育ったか、考えたり、想像したことはありますか?
今回は、草間舎さんで、農家の仕事と暮らしを取材させてもらいました。草間舎さんが農業をやっているのは、東に南アルプス、西に中央アルプスの山々が連なる、伊那谷と呼ばれる場所です。伊那谷は大きく開けた、明るくて、とても広い谷です。
畑の野菜は、必要な時間をかけ、じわじわ成長を続けます。草間舎さんも手間を惜しまず農作業を続けます。野菜はそれに応えるように、元気に育ちます。気温や天候など、人間がどうにもできないことも多くあります。でも、その時々の、できる限りのことをします。伊那谷の広大な景色の中、畑の観察を続けると、時間や手間を惜しんで、何でも簡単に、人間の思い通りにできると考えるのは、おかしなことだな、とわかります。
畑や田んぼでは、いろいろなものを見たり、感じることもできました。土の匂い、ちょっと触れた時に匂う野菜の葉の匂い、通り過ぎる風、刻々と変わる雲の形、空や山の色、いろいろな種類の昆虫、初めて聞く鳥の鳴き声。そこは、いろんな命が生まれ、育ち、生きている、命の場所です。そこにいるわたしも同じく、ただ一つの命でした。
そんな畑で採れた野菜を素材に、草間舎さんではいつも、おいしい食事を食べさせてもらいました。畑からそのまま食卓につながっているような、新鮮な野菜がたっぷりのお料理です。おしゃべりしながら食べる食事は「ごちそう」でした。体と心が喜んで、体の中から元気が出てくる感じがしました。
「あっちゃんのサツマイモ」で作った栗きんとんも「ごちそう」です。あっちゃんは、次はカボチャを育てるそうです。みんなも何か育てて、「ごちそう」を食べませんか?
1963年、静岡県生まれ。書籍の装画やさし絵、絵本の仕事を中心に活動している。著書に『美術館にもぐりこめ!』『セミとわたしはおないどし』『子どもばやしのお正月』(以上福音館書店刊)、『かえってきた竹間沢車人形』(三芳町刊)、「草の背中」(あすなろ書房刊)など。エッセイ集に『おじさんの畑は、今日もにぎやか』(PHPエディターズ・グループ刊)、「母と娘のエチュード」(WAVE出版刊)がある。
未知の納豆ワンダーランド
「謎」や「未知」を求め、アジア・アフリカ・
だが最近、この探検はどんどん難しくなってきた。
これでは私の生き甲斐がなくなってしまうじゃないか。いや、
驚いたことに、納豆は「未知の大陸」だった。
また、アジアやアフリカの諸国では、
そして、とどめは味と香り。
このような条件が重なり、納豆は高度情報社会の現代において、
作者紹介
高野秀行
1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍中に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」。『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と梅棹忠夫・山と探検文学賞を、『イラク水滸伝』(文藝春秋)で植村直己冒険賞とBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著書に『巨流アマゾンを遡れ』『ワセダ三畳青春記』(ともに集英社文庫)『謎のアジア納豆』(新潮文庫)『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
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作者のことば
クマのとなりでくらすこと
菊谷詩子
初めて野生のクマと出会ったのはアラスカでした。キャンプ場の近くを歩いていると、突然ヒグマの亜種のハイイログマが現れ、ズンズンこちらに近づいてきました。とっさに何もできずにただ突っ立っている私の目の前をクマは悠々と通り過ぎ、近くの木に背中をゴシゴシとこすりつけた後、去っていきました。その大きさと波打つ筋肉を見て、絶対に敵わないと思ったのを鮮明に覚えています。
実は軽井沢に来る前、ヒグマより小型のツキノワグマはヒグマほど怖くないだろうと甘くみていました。ところが人身事故の数を見ると、日本ではツキノワグマの被害の方がヒグマより多いのです。クマの専門家の話によると、ツキノワグマは臆病で、人とばったり出会うと、身を守るために攻撃に転じやすいと聞きました。全然甘く見てはいけない相手でした。軽井沢は森の中に別荘が点在し、森と人里との境界を引くのがとても難しいところです。クマとのバッタリ遭遇がいつ起こってもおかしくありません。しかし、ここにはクマの専門家集団がいます。クマの追い払いに同行した際、犬の吠え声に何事かと別荘の持ち主が様子を見に出てきたことがありました。田中さんは、追い払っているクマは何という名前のどんなクマなのか、どのように追い払いをしているのかなど、時間をかけて丁寧に説明しました。クマと聞いて少し強張った表情だった別荘の方も、話を聞くにつれ表情がほぐれ、別れ際に「クマも山で寿命を全うできたらいいね」と言ってくれました。クマの専門家の存在は頼もしく、大きいと感じた瞬間でした。
自然とうまく付き合うには、相手を知ることも重要です。町内の小学校では毎年5月から6月、クマチームによるクマ学習が開催されます。1年生はクマに出会った時どうするか教わります。学年が上がるにつれ、町内にはどんな野生動物が住んでいてどのように暮らしているか、調査のやり方や関わり方、町内での管理体制についてなど、野生動物と共存していくことを6年かけてしっかり学びます。目指すのは人と野生動物の緊張感のある住み分けです。意識的な餌付けはもちろん、無意識の餌付けに気をつけるのが大事です。問題を起こすクマを生み出さないように未然に防ぐことが、私たちだけでなく、クマを守ることにつながるのです。その取り組みに感銘を受け、全国の子どもたちにクマ学習を届けたいと思ったのが、この絵本を作るきっかけです。
作者紹介
■ 菊谷詩子 文・絵(きくたに うたこ)
幼少期をケニアとタンザニアで過ごしたことをきっかけに、動物学者を目指して東京大学の博士課程に進むも絵の道を目指して中退。カリフォルニア大学でサイエンスイラストレーションを学ぶ。科学雑誌、図鑑、教科書、博物館の展示などのイラストを制作している。2002年ボローニャ国際絵本原画展(ノンフィクション部門)入選。絵本では『いぬのさんぽ』(「かがくのとも」通巻492号)、『食べられて生きる草の話』(「たくさんのふしぎ」通巻367号)、『9つの森とシファカたち』(同415号、以上福音館書店)がある。
アシカ、アザラシがたどった道
水口博也
ぼくは、クジラやイルカのなかまとともに、同じように生活の舞台を海に移した哺乳類であるアシカやアザラシのなかまを、世界の海で長く観察してきました。
一生を海のなかでくらし、海上に姿をみせるのは呼吸をするために浮上するときだけであるクジラやイルカとちがって、アシカやアザラシのなかまは、少なくとも子どもを産み育てる季節は、陸上や北極海、南極海の氷のうえですごします。その季節には、かれらのくらしを妨げることがないように、ある程度の距離をとって双眼鏡や望遠レンズをつかえば、しっかりとそのくらしを観察することができます。そうした観察から生まれたのがこの本です。
*
アシカやアザラシのなかまは、ともに海中でのくらしに適応して脚をひれに形を変えたため、「鰭脚類」と呼ばれます。こうしたひとつのグループに属する多くの種を観察するおもしろさは、そのグループの動物たちが共通してどんな体のつくりやくらしを進化させてきたかを知ることができる一方、種のあいだにちがいがあるとすれば、それぞれがすむ海の環境やかれらがたどってきた道のちがいによるものであることをあわせ見ることができることです。
北極海や南極海をおおう海氷上にすむアザラシたちは、防寒のために体にたっぷりと脂肪をたくわえています。いくぶん緯度が低い海でくらすアシカのなかまは、それほどではありません。
そのためもあるのでしょう。多くのアザラシの母親はいったん子を産むと、多くは子別れをするまで自分は餌をとることなく、体にためた栄養分を糧におっぱいを与えつづけ、短期間で子どもをひとりだちさせます。一方、アシカのなかまの母親は、子育て中にも自分も餌をとりに海に出かける必要があり、その分だけ子どものひとりだちは、アザラシにくらべて長びくことになります(本書でも、その両者のちがいを読みとっていただけると思います)。
動物たちの姿かたちやくらしかたは、長い進化の流れのなかで育まれてきたものです。さまざまな動物を観察する楽しみは、かれらがいま見せてくれるくらしぶりを目にしながら、その背景にある悠久のときの流れに思いをはせることができることにあるのかもしれません。
■ 水口博也(みなくちひろや)
1953年、大阪生まれ。大学で海洋生物学を学んだあと、出版社に勤務して自然科学の本を編集。1984年から写真家として独立、世界の海で撮影や取材を行い、多くの著書や写真集を発表。クジラやイルカなど海にすむ哺乳類についての著作が多いが、近年は地球環境の変化を追い、北極、南極から熱帯雨林まで広く地球上の自然や動物について取材を行う。「たくさんのふしぎ」には『コククジラの旅』『南極の生きものたち』『クジラの家族』『シャチのくらし』がある。
昆布の未来のために
松田真枝
今から半世紀も前の昭和時代のことです。北海道のわたしの家の台所にはいつも昆布がたくさんありました。うちだけではありません。「買うものではなくてもらうもの」といわれたほど、昆布はたくさん採れていました。毎日の味噌汁のだしには、たっぷり昆布が使われていました。
そんな中で、水に入れると塩味もついて、だしがらが出ない「だしの素」が登場し、昆布は家庭で使われなくなっていきました。おとなになったわたしも、鍋や特別にだしをとる時以外は昆布を使わなくなっていました。
ところが、イタリア料理を学び地元食材を使う中で、わたしは昆布に再会することに。スープと具に使える昆布は、便利で無駄のない食材であることに気づきました。
見た目は似ている昆布が、種類で味が違うことも大発見でした。そのそれぞれが料理の味をおいしくするなんてすごい!と興奮し、たくさんの人に伝えたくてならなくなりました。
昆布のワークショップを開いて、みんなで驚いたり、納得したり。そこにいる全員が、わたしと同じように昆布のおいしさと面白さを発見して感動していることが嬉しくてなりません。
そんなあるとき、新しい疑問が生まれました。「沖縄で昆布が郷土料理に使われるのはどうしてだろう。誰が運んだんだろう。」沖縄で北海道の味とは違う昆布料理を食べて、地方によって料理は変わることを実感しました。沖縄の昆布食の成り立ちに富山の薬売りが関わったことを知って、富山へ。気づくとわたしは、昆布の料理と疑問への答えを求めながら「昆布ロード」を巡る旅を続けていました。そして最近は、ヨーロッパやアメリカでも昆布の価値が認められてきたことを喜んでいました。
でも、豊富にあった昆布は今、海水温度の上昇や海の環境の変化、漁師が減っていることなどから、生産量が減っています。
例えば、この本の取材で訪れた年の羅臼は、かつてないほど暑い夏でした。漁に備えて海面に近いところに引き上げられていた養殖ものの根が、暑さで腐ってしまう被害が出ました。
また、函館の真昆布の産地で天然昆布の水揚げが激減しています。海水温度が上がり、昆布を餌にするウニが増えすぎました。2年かけて育てる養殖ものもなかなか大きくなりません。現在、産地全体で天然昆布の再生事業にとりくんでいます。
日高昆布の産地えりも町では、なくなりかけた昆布をみんなで救いました。入植以後、暖房燃料の薪や放牧地開拓のために木々を切ったところに、この地特有の強風が吹きつけ、山は砂漠のようになりました。海に土砂が流れ込み、昆布も魚もいなくなりました。山と海のつながりに気づいた人々は70年以上かけて植林事業を行い、豊かな海が戻りました。
昆布は海の様子を知るバロメーターでもあるのです。
おいしくて面白い昆布を、これからもずっとみんなで楽しめるように願ってこの絵本を作りました。うどんやおでんを食べるときに、昆布と海を思い出してくださいね。
■ 松田真枝(まつだ まさえ)
北海道生まれ。料理家。デパートの食品部門プランナーを経てイタリア各地で食文化を学び、北海道素材で作るイタリア料理教室を開講。食育も行う。2016年日本昆布協会昆布大使に任命される。生産地や「昆布ロード」の寄港地を訪ね、各地の食文化や歴史と結びついた昆布食の聞き書きを続けている。
「ふつうの人の暮らしからみえてくる中東」
菅瀬晶子
裏表紙に描かれているオリーブの古木。 オリーブは平和の象徴です。 |
■ 菅瀬晶子 文(すがせ あきこ)
1971年、東京都新宿区出身。東京外国語大学を経て、総合研究大学院大学博士後期課程修了。2011年より、国立民族学博物館に所属。1993年以来、パレスチナ・イスラエルに関わりつづけ、おもにキリスト教徒コミュニティの文化や、彼らがイスラーム教徒と共有する聖者崇敬について研究している。著書に『イスラエルのアラブ人キリスト教徒』(渓水社)、『イスラームを知る6 新月の夜も十字架は輝くー中東のキリスト教徒』(山川出版社)などがある。
虫を楽しむ
藤丸篤夫
チョッキリ……一般的にはあまりなじみのない名前かもしりません。たいていはオトシブミとチョッキリとして取り上げられることが多く、分類としてもオトシブミ科のオトシブミ亜科・チョッキリ亜科とされています。本などでもオトシブミがメインでそれにプラス・チョッキリという扱いが多いように思います。
今回はそのプラスのチョッキリだけをとりあげて、一部だけではありますがその生態を紹介することとしました。
チョッキリの面白さは……と聞かれたらハマキチョッキリに代表される姿の美しさと、産卵時における行動の多様性と答えますが、本当は見ていて楽しいからです。
1センチにも満たない小さな虫が、たくさんの時間をかけて自分よりはるかに大きな葉を切ったり噛んだり、折ったり、ねじったり、行ったり来たりを繰り返しながら幼虫のための巻物(揺籃)を作り上げていく様子は、驚きでありふしぎであり、感動であり。最後は、よくできましたご苦労さんと、声をかけたくなることもあります。
春は寒い冬を乗り越えた多くの生き物たちが深い眠りから目覚め、活力があふれ出す季節です。私にとっては自然を楽しみ虫を楽しむ季節の始まり。楽しむことは知ることにもつながります。
柔らかな緑に包まれた野山に出かけてチョッキリやオトシブミたちと出会い、楽しんでみようと思った方が少しでもいてくれたら幸いです。
最後になりましたが、オトシブミ・チョッキリの研究者である櫻井一彦さん。ずいぶん前のことになりますが、櫻井さんとは共著でオトシブミの本を作ったことがあります。今回は共著ではありませんが、櫻井さんの協力とアドバイスがなければ作れなかった本です。感謝申し上げます。
藤丸篤夫
1953年、東京生まれ。育英工業高等専門学校卒業後、子どものころからの昆虫好きが高じて昆虫を中心とした写真を撮るようになり、コンテスト入賞をきっかけに本格的にその道にすすむようになる。著書に『ハチハンドブック』(文一総合出版刊)、『どんぐりむし』『カラスウリ』(そうえん社刊)、『せんせい! これなあに? いもむし・けむし 』(偕成社刊)、『虫の飼いかたさがしかた』(福音館書店刊)など、「たくさんのふしぎ」には『ハチという虫』などがある。
ご飯を炊くということ
森枝卓士
1955年に九州の田舎で生まれました。この本で紹介したカマドで炊くご飯、ぎりぎりで覚えています。祖母が薪をくべて、炊いていた光景をうっすらと覚えていて、お焦げのご飯を食べた記憶がある、そんな世代です。
気がつけば、電気釜になり(そう、電気釜と呼んでいました。いつから、炊飯器と呼ぶようになったのだろう……)、いろいろと使ってきて、気がつけば米のブランドで炊き方が変わるようなものが出来ていたり。やっぱり、こっちが美味しいかと土鍋で炊くのが流行ったり。我が家だけでなく、色々と変遷があったように思います。
「ご飯を炊く」という、私たちの暮らしの中で、基本の基本のようなことが、たかだか数十年で劇的に変わったということです。
そして、それは日本だけではありませんでした。今回、主にご紹介したタイでも、事情は同じでした。1980年前後にタイに住んでいたのですが、当時は屋台の料理人が、道端で、本の中で紹介した「湯取り法」で炊いているのを見たものでした。そして、なるほど、こういう炊き方もあるのか、いや、アジアではこちらが主流なのかと知ったのでした。気がつけば、どこでも炊飯器がほとんどということになりましたけれど。
改めてあちこちの国々で買い集めた料理本を見返しても、「ご飯を炊く」ということは、あまりにも当たり前なのか、ほとんど載っていません。なので、「ご飯を炊く」という、当たり前といえば当たり前、料理の基本の基本を改めてちゃんと考えてみたいと思い、出来上がったのがこの本です。
きっと、読者の皆さんも「作ってみたい」「試してみたい」と思ってくれるはずです。そう願って作りました。
どうぞ、大人も一緒にいろいろとチャレンジしてみてください。どう炊いたが美味しいか、何を合わせたが美味しいか。一番身近な科学の実験、一番身近な食文化を楽しんで欲しいです。そして、食べるということを、考えて欲しいのです。
読者の皆さんが料理好きになってくれるだけで、著者の想いは満たされます。
そうそう。中尾佐助『料理の起源』によれば、昔の日本にも湯取り法に近い調理法もあれば、もち米を蒸したものが主食という時代もあったようです。料理は、食文化は、変化を続けているということでしょう。
さて、次の世代はどう変える?
森枝卓士
1955年、生まれ育った熊本県水俣市でアメリカの写真家、ユージン・スミスと出会い、報道写真の道を志す。国際基督教大学卒。カンボジアの内戦の取材を経て、食文化を主な取材対象とする。著書に、『食べもの記』、『手で食べる?』、『干したから……』、『線と管のない家(「たくさんのふしぎ」2020年3月号)』『人間は料理をする生きものだ』など。大正大学など多くの大学で、食文化、写真(取材、調査法)等を教えている。
*藤原さんが中学高校生時代に読んでおけばよかったと思う10冊*
石牟礼道子『あやとりの記』(福音館書店)
このみずみずしい感性は子どもこそ深く届くかもしれない。子どもたちの世界、水俣。
ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)
読んだあと、自分のものの見方の甘さを認識して、呆然とした。衝撃の作品。
船戸与一『虹の谷の五月』(集英社)
船戸冒険譚は、いつも読む楽しさと、世界の残酷さを同時に教えてくれる。
真藤順丈『宝島』(講談社)
胸が張り裂けそうになって物語を読み終えると、沖縄の本をもっと読みたくなる。
京極夏彦『絡新婦の理』(講談社)
京極レンガ本はどれも睡眠を大量に奪う。犯人は文字通り衝撃だった。
島田荘司『奇想、天を動かす』(光文社)
ミステリーにハマったのはここから。犯人の哀しさにひたすら震える。
堀川惠子『永山則夫』(講談社)
連続殺人犯の心の奥底に、そのたどった経路に、日本近代の闇がはっきりと刻まれている。
津村記久子『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)
こんな素敵な大人たちがいるんだ日本には、と思う。身寄りのない姉妹の、家庭内暴力からの逃避行の末に。
木村元彦『オシムの言葉』(集英社)
オシム。久しぶりに大人のロールモデルに出会った気がする。ユーゴの悲劇の中、本物の知性。
エリック・シュローサー『核は暴走する 上下』(河出書房新社)
震撼する。核兵器はあるだけで既にこんなにも危険だったのだ。
藤原辰史(ふじはら たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。研究テーマは、食と農の現代史。主な著作に『ナチスのキッチン』(共和国、河合隼雄学芸賞)、『給食の歴史』(岩波新書、辻静雄食文化賞)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『分解の哲学』(青土社、サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)、『植物考』(生きのびるブックス)など。
*『食べる』(2024年1月号)を深く理解するための12冊*
レイチェル・ローダン『料理と帝国』(みすず書房)
食文化を軸にして、世界史を学び直したい人にぜひ。
フェリペ・フェルナンデス=アルメスト『食べる人類誌』(早川書房)
食べものと支配の関係を考えるのにとても役立つ、食の歴史概論。
ロブ・ダン『家は生態系』(白揚社)
一人で生きられるって思うなよ、人間たち!
エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社)
ファストフードの大量生産のために犠牲にされているものについて。
湯澤規子『胃袋の近代』(名古屋大学出版会)
リッチではない人びとの食事のにぎやかさについての史的考察。
角山栄『茶の世界史』(中央公論新社)
フードヒストリーの古典。アッサムやダージリンの意味をこれで知る。
川北稔『砂糖の世界史』(岩波書店)
奴隷貿易の歴史は、西欧人の砂糖への欲望と切り離せない。
ポール・ロバーツ『食の終焉』(ダイヤモンド社)
この本に衝撃を受けなければ、フードシステムの闇を学ぼうとは思わなかった。
中原 一歩『寄せ場のグルメ』(潮出版社)
これぞ、食のルポルタージュ。ど迫力にノックアウト。
阿古真理『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮社)
料理研究家の活躍の背景にある時代を読む。
マーティン・J・ブレイザー『失われゆく、われわれの内なる細菌』(みすず書房)
抗生物質の問題点について、ピロリ菌の研究者が語る。
ピーター・チャップマン『バナナのグローバルヒストリー』(ミネルヴァ書房)
暴力にまみれたバナナの歴史を学べ。
藤原辰史(ふじはら たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。研究テーマは、食と農の現代史。主な著作に『ナチスのキッチン』(共和国、河合隼雄学芸賞)、『給食の歴史』(岩波新書、辻静雄食文化賞)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『分解の哲学』(青土社、サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)、『植物考』(生きのびるブックス)など。