2024年11月10日日曜日
12月号『日本にいたゾウ』作者のことば
栃木県生まれ。十代のころから野鳥に興味をもち、自宅に近い渡良
2024年10月24日木曜日
傑作集『世界の納豆をめぐる探検』作者のことば
未知の納豆ワンダーランド
「謎」や「未知」を求め、アジア・アフリカ・
だが最近、この探検はどんどん難しくなってきた。
これでは私の生き甲斐がなくなってしまうじゃないか。いや、
驚いたことに、納豆は「未知の大陸」だった。
また、アジアやアフリカの諸国では、
そして、とどめは味と香り。
このような条件が重なり、納豆は高度情報社会の現代において、
作者紹介
高野秀行
1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍中に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」。『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と梅棹忠夫・山と探検文学賞を、『イラク水滸伝』(文藝春秋)で植村直己冒険賞とBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著書に『巨流アマゾンを遡れ』『ワセダ三畳青春記』(ともに集英社文庫)『謎のアジア納豆』(新潮文庫)『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
◎ご購入方法など本の詳細はこちらをご覧ください◎
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7612
2024年10月3日木曜日
11月号『となりにすんでるクマのこと』作者のことば
作者のことば
クマのとなりでくらすこと
菊谷詩子
初めて野生のクマと出会ったのはアラスカでした。キャンプ場の近くを歩いていると、突然ヒグマの亜種のハイイログマが現れ、ズンズンこちらに近づいてきました。とっさに何もできずにただ突っ立っている私の目の前をクマは悠々と通り過ぎ、近くの木に背中をゴシゴシとこすりつけた後、去っていきました。その大きさと波打つ筋肉を見て、絶対に敵わないと思ったのを鮮明に覚えています。
実は軽井沢に来る前、ヒグマより小型のツキノワグマはヒグマほど怖くないだろうと甘くみていました。ところが人身事故の数を見ると、日本ではツキノワグマの被害の方がヒグマより多いのです。クマの専門家の話によると、ツキノワグマは臆病で、人とばったり出会うと、身を守るために攻撃に転じやすいと聞きました。全然甘く見てはいけない相手でした。軽井沢は森の中に別荘が点在し、森と人里との境界を引くのがとても難しいところです。クマとのバッタリ遭遇がいつ起こってもおかしくありません。しかし、ここにはクマの専門家集団がいます。クマの追い払いに同行した際、犬の吠え声に何事かと別荘の持ち主が様子を見に出てきたことがありました。田中さんは、追い払っているクマは何という名前のどんなクマなのか、どのように追い払いをしているのかなど、時間をかけて丁寧に説明しました。クマと聞いて少し強張った表情だった別荘の方も、話を聞くにつれ表情がほぐれ、別れ際に「クマも山で寿命を全うできたらいいね」と言ってくれました。クマの専門家の存在は頼もしく、大きいと感じた瞬間でした。
自然とうまく付き合うには、相手を知ることも重要です。町内の小学校では毎年5月から6月、クマチームによるクマ学習が開催されます。1年生はクマに出会った時どうするか教わります。学年が上がるにつれ、町内にはどんな野生動物が住んでいてどのように暮らしているか、調査のやり方や関わり方、町内での管理体制についてなど、野生動物と共存していくことを6年かけてしっかり学びます。目指すのは人と野生動物の緊張感のある住み分けです。意識的な餌付けはもちろん、無意識の餌付けに気をつけるのが大事です。問題を起こすクマを生み出さないように未然に防ぐことが、私たちだけでなく、クマを守ることにつながるのです。その取り組みに感銘を受け、全国の子どもたちにクマ学習を届けたいと思ったのが、この絵本を作るきっかけです。
作者紹介
■ 菊谷詩子 文・絵(きくたに うたこ)
幼少期をケニアとタンザニアで過ごしたことをきっかけに、動物学者を目指して東京大学の博士課程に進むも絵の道を目指して中退。カリフォルニア大学でサイエンスイラストレーションを学ぶ。科学雑誌、図鑑、教科書、博物館の展示などのイラストを制作している。2002年ボローニャ国際絵本原画展(ノンフィクション部門)入選。絵本では『いぬのさんぽ』(「かがくのとも」通巻492号)、『食べられて生きる草の話』(「たくさんのふしぎ」通巻367号)、『9つの森とシファカたち』(同415号、以上福音館書店)がある。
2024年9月3日火曜日
アシカ、アザラシがたどった道
水口博也
ぼくは、クジラやイルカのなかまとともに、同じように生活の舞台を海に移した哺乳類であるアシカやアザラシのなかまを、世界の海で長く観察してきました。
一生を海のなかでくらし、海上に姿をみせるのは呼吸をするために浮上するときだけであるクジラやイルカとちがって、アシカやアザラシのなかまは、少なくとも子どもを産み育てる季節は、陸上や北極海、南極海の氷のうえですごします。その季節には、かれらのくらしを妨げることがないように、ある程度の距離をとって双眼鏡や望遠レンズをつかえば、しっかりとそのくらしを観察することができます。そうした観察から生まれたのがこの本です。
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アシカやアザラシのなかまは、ともに海中でのくらしに適応して脚をひれに形を変えたため、「鰭脚類」と呼ばれます。こうしたひとつのグループに属する多くの種を観察するおもしろさは、そのグループの動物たちが共通してどんな体のつくりやくらしを進化させてきたかを知ることができる一方、種のあいだにちがいがあるとすれば、それぞれがすむ海の環境やかれらがたどってきた道のちがいによるものであることをあわせ見ることができることです。
北極海や南極海をおおう海氷上にすむアザラシたちは、防寒のために体にたっぷりと脂肪をたくわえています。いくぶん緯度が低い海でくらすアシカのなかまは、それほどではありません。
そのためもあるのでしょう。多くのアザラシの母親はいったん子を産むと、多くは子別れをするまで自分は餌をとることなく、体にためた栄養分を糧におっぱいを与えつづけ、短期間で子どもをひとりだちさせます。一方、アシカのなかまの母親は、子育て中にも自分も餌をとりに海に出かける必要があり、その分だけ子どものひとりだちは、アザラシにくらべて長びくことになります(本書でも、その両者のちがいを読みとっていただけると思います)。
動物たちの姿かたちやくらしかたは、長い進化の流れのなかで育まれてきたものです。さまざまな動物を観察する楽しみは、かれらがいま見せてくれるくらしぶりを目にしながら、その背景にある悠久のときの流れに思いをはせることができることにあるのかもしれません。
■ 水口博也(みなくちひろや)
1953年、大阪生まれ。大学で海洋生物学を学んだあと、出版社に勤務して自然科学の本を編集。1984年から写真家として独立、世界の海で撮影や取材を行い、多くの著書や写真集を発表。クジラやイルカなど海にすむ哺乳類についての著作が多いが、近年は地球環境の変化を追い、北極、南極から熱帯雨林まで広く地球上の自然や動物について取材を行う。「たくさんのふしぎ」には『コククジラの旅』『南極の生きものたち』『クジラの家族』『シャチのくらし』がある。
2024年8月2日金曜日
9月号『おいしさつながる昆布の本』作者のことば
昆布の未来のために
松田真枝
今から半世紀も前の昭和時代のことです。北海道のわたしの家の台所にはいつも昆布がたくさんありました。うちだけではありません。「買うものではなくてもらうもの」といわれたほど、昆布はたくさん採れていました。毎日の味噌汁のだしには、たっぷり昆布が使われていました。
そんな中で、水に入れると塩味もついて、だしがらが出ない「だしの素」が登場し、昆布は家庭で使われなくなっていきました。おとなになったわたしも、鍋や特別にだしをとる時以外は昆布を使わなくなっていました。
ところが、イタリア料理を学び地元食材を使う中で、わたしは昆布に再会することに。スープと具に使える昆布は、便利で無駄のない食材であることに気づきました。
見た目は似ている昆布が、種類で味が違うことも大発見でした。そのそれぞれが料理の味をおいしくするなんてすごい!と興奮し、たくさんの人に伝えたくてならなくなりました。
昆布のワークショップを開いて、みんなで驚いたり、納得したり。そこにいる全員が、わたしと同じように昆布のおいしさと面白さを発見して感動していることが嬉しくてなりません。
そんなあるとき、新しい疑問が生まれました。「沖縄で昆布が郷土料理に使われるのはどうしてだろう。誰が運んだんだろう。」沖縄で北海道の味とは違う昆布料理を食べて、地方によって料理は変わることを実感しました。沖縄の昆布食の成り立ちに富山の薬売りが関わったことを知って、富山へ。気づくとわたしは、昆布の料理と疑問への答えを求めながら「昆布ロード」を巡る旅を続けていました。そして最近は、ヨーロッパやアメリカでも昆布の価値が認められてきたことを喜んでいました。
でも、豊富にあった昆布は今、海水温度の上昇や海の環境の変化、漁師が減っていることなどから、生産量が減っています。
例えば、この本の取材で訪れた年の羅臼は、かつてないほど暑い夏でした。漁に備えて海面に近いところに引き上げられていた養殖ものの根が、暑さで腐ってしまう被害が出ました。
また、函館の真昆布の産地で天然昆布の水揚げが激減しています。海水温度が上がり、昆布を餌にするウニが増えすぎました。2年かけて育てる養殖ものもなかなか大きくなりません。現在、産地全体で天然昆布の再生事業にとりくんでいます。
日高昆布の産地えりも町では、なくなりかけた昆布をみんなで救いました。入植以後、暖房燃料の薪や放牧地開拓のために木々を切ったところに、この地特有の強風が吹きつけ、山は砂漠のようになりました。海に土砂が流れ込み、昆布も魚もいなくなりました。山と海のつながりに気づいた人々は70年以上かけて植林事業を行い、豊かな海が戻りました。
昆布は海の様子を知るバロメーターでもあるのです。
おいしくて面白い昆布を、これからもずっとみんなで楽しめるように願ってこの絵本を作りました。うどんやおでんを食べるときに、昆布と海を思い出してくださいね。
■ 松田真枝(まつだ まさえ)
北海道生まれ。料理家。デパートの食品部門プランナーを経てイタリア各地で食文化を学び、北海道素材で作るイタリア料理教室を開講。食育も行う。2016年日本昆布協会昆布大使に任命される。生産地や「昆布ロード」の寄港地を訪ね、各地の食文化や歴史と結びついた昆布食の聞き書きを続けている。