2022年9月5日月曜日
10月号『ヒキガエルとくらす クロちゃんとすごした18年』
作者のことば
幼かった日々の思い出
山内祥子
「祥子や、これ見てごらん」。
祖父が指し示し、わたしの目に入ったもの。そこには長さ1メートルほど、まわりは3、4センチくらいの木の枝が、たくさん積まれていたのです。
家の裏口を出てすぐそばに竹やぶがあり、その竹やぶに囲まれて井戸がありました。木の枝が積まれていたのは、井戸へ水をくみにいく途中のところでした。わたしはいつも目にしていて、とくに変わったことは感じなかったのですが……。
「これはな、おじいちゃんの山の帰りの杖なんだよ」
「え?」
わたしはその数の多さにびっくり、言葉もなく見つめていたおぼえがあります。
おじいちゃんは、わたしの生まれる前々から、何度となく山へ行き来していたのでは? 積まれている杖の数は、一目では数えられるものではなかったのでした。
今でもわたしの中に、その時の情景があざやかに残されているのは何だったのでしょうか。
囲炉裏をかこんでの家族の食事、お代わりはおばあちゃんの役でした。
居間の火鉢にかかった鉄瓶にたぎる湯の音。
そして唯一の暖房であった炬燵。その中へ体ごとすっぽりと入り込んだ時の、あのふんわりとしたまろやかな暖かさ。それは祖父が山で焼いてきてくれた粉炭(細い枝を焼いてできた細かい炭)の暖かさだったのでした。
勤めに出ていた父の山への姿の記憶は、あまりありませんが。
今よりはずっと雪も深く長かった冬。二階からは「トントン……」、祖母と母の機織りの音が聞こえていました。
わたしは弟と二人きょうだいで育ちました。時には十歳年下の弟を背に遊ぶこともありました。
近隣だけでもすぐ遊びなかまは集まります。石けり、国盗り、かくれんぼ、縄とび、おにごっこ、花いちもんめ……。わたしたちは大地を自由にかけ廻り、満ち足りた毎日でした。
四囲は山、続く田、そして桑畑。にぎわしいカエルの声、暗闇の中のホタルの乱舞……。わたしはこのような山深い農村に生まれ育ちました。
けれども今でもふしぎに思うのは、クロちゃんのようなカエルに一度も出会ったことがなかったのです。もしも突然出会えば、わたしはその容姿に大声をあげてしまっていたに違いありません。
夫の勤めの関係で、長野県内各地で暮らしていたことがあります。そんな中、長野の町で1センチにも満たない小さな黒い虫に出会いました。それがわたしの両手で持つほどに大きくなるとは夢々思いませんでした。
クロちゃんとの生活の中で、カエルたちが目立たないけれどもわたしたちにとって大切な存在であることに気づかされました。あらためて、見直すきっかけを与えてくれたクロちゃんでした。
山内祥子
1925年、長野県下伊那郡山本村(現飯田市山本)生まれ。長野県飯田高等女学校を経て、松本女子師範学校卒業後、教職に。現在無職。
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