2024年5月2日木曜日

6月号『ウンム・アーザルのキッチン』作者のことば

 「ふつうの人の暮らしからみえてくる中東」

                         菅瀬晶子


市民講座などで中東、あるいは西アジアという地域について話す機会がありますが、そのたびに、いかに多くの人びとがこの地域に紛争というイメージを持っているのか、痛感させられます。実際、ニュースで取り上げられる中東の話題は、紛争の話ばかり。昨年(2023年)107日、ガザ地区のイスラーム主義政党ハマースの軍事部門がイスラエル側に侵入し、開催中だった音楽祭から人質を連れ去った事件は、イスラエル軍による苛烈なガザ侵攻を引き起こしました。この原稿を書いている20241月の今も、停戦の兆しが見えません。この本の主人公であるウンム・アーザルとは、半月に一度くらいのペースで連絡を取り合っていますが、「いつ終わるかわからない。(遠くの村に住んでいる次女の)ディアーナとは、もう三か月も会えていない。あなたにも会いたいけれど、もうしばらく辛抱するしかないわね。いつもと同じように」と、苦笑交じりに言われました。それほどパレスチナやイスラエルの人びとは、度重なる紛争の中を生き抜いてきたのです。

 ガザにも、イスラエル側にも、そこには当然私たちと同じような人びとの暮らしが存在します。わたしの専門である文化人類学とは、聞き取り調査で集めた身近で小さな事例を積み重ねて、人のいとなみの仕組みについて考える学問です。しかし、コロナ禍に加えてわたし自身ががんを患ったことで、この5年間パレスチナやイスラエルの友人たちとは会えずにいます。次の渡航の機会を待つ間、手元に集めた友人たちの物語を編みなおすことで、紛争だけではない中東の姿を提示したい。その思いがかたちになったのが、この本です。

 とはいっても、本文中でもすこし述べたように、パレスチナとイスラエルに住む人びとの生活には、やはり常に紛争が影を落としています。ウンム・アーザルの場合、ユダヤ人の国であるイスラエルでアラブ人として、キリスト教徒として生きてきたことで、苦労を重ねてきました。もし彼女がユダヤ人であったならば、14歳で学校を辞めて出稼ぎに出ることはなかったでしょう。不幸な結婚生活も、もっと違うものになった可能性もあります。また、アラブ人社会の中心はムスリム(イスラーム教徒)なので、少数派のキリスト教徒の意見はあまり表面にあらわれてきません。ウンム・アーザルの置かれた状況は、日本の場合在日コリアンなど在日外国人の置かれた状況に通じます。完全に一緒ではありませんが、「少数派」と位置づけられる人びとの抱えるストレスや、だからこそ誇りを持って生きるさまは、よく似ていると私は感じています。そのほかに、イスラエルの中でも特殊な、ユダヤ人とアラブ人が唯一共存できているハイファという街で暮らせたことが、彼女の救いにもなっているのでしょう。本書には登場しませんが、彼女にはユダヤ人の友人も何人もいます。

 その後のウンム・アーザルについて、最後に記しておきましょう。この本の内容は、2000年代から2010年代中盤にわたしが彼女の家で遭遇した出来事に基づいていますが、2017年にバス停で転んで怪我をしたため、彼女は修道院での仕事をやめました。その後すぐに夫が亡くなり、ひとり暮らしになりましたが、元気で暮らしています。仲よしのリディアや、子どもや孫たちがいつも様子を見に来てくれるから、さみしくはないと彼女は言います。ラナはもう二人の子どものお母さんです。ブドウの葉包みも、じょうずに作れるようになりました。サミールはロシアによる侵攻の前年にウクライナの大学を卒業して帰国し、今はハイファ市内の病院で働いています。

 「ずっと働きづめの人生だったけれど、私は満足してるの。子どもたちも、孫たちも立派に育ってくれている。私がこの手で育てたのよ。料理の腕だけでね」。たくましい彼女の物語から、紛争地と呼ばれる場所で生きる人びとに思いを馳せていただければ、さいわいです。
裏表紙に描かれているオリーブの古木。
オリーブは平和の象徴です。


■ 菅瀬晶子 文(すがせ あきこ)

1971年、東京都新宿区出身。東京外国語大学を経て、総合研究大学院大学博士後期課程修了。2011年より、国立民族学博物館に所属。1993年以来、パレスチナ・イスラエルに関わりつづけ、おもにキリスト教徒コミュニティの文化や、彼らがイスラーム教徒と共有する聖者崇敬について研究している。著書に『イスラエルのアラブ人キリスト教徒』(渓水社)、『イスラームを知る6 新月の夜も十字架は輝くー中東のキリスト教徒』(山川出版社)などがある。


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②ヨドバシカメラ、amazon、楽天ブックスなどのウェブ書店さんでもご購入いただけます。
(品切れになっていたり定価より高くなっていることがありますが、小社には在庫がありますので、近くの書店さんにご注文頂ければ幸いです)
 ③定期購読についてはこちらをご覧ください。たくさんのふしぎ|定期購読 - 雑誌のFujisan


2024年4月10日水曜日

虫を楽しむ         

藤丸篤夫


 チョッキリ……一般的にはあまりなじみのない名前かもしりません。たいていはオトシブミとチョッキリとして取り上げられることが多く、分類としてもオトシブミ科のオトシブミ亜科・チョッキリ亜科とされています。本などでもオトシブミがメインでそれにプラス・チョッキリという扱いが多いように思います。

 今回はそのプラスのチョッキリだけをとりあげて、一部だけではありますがその生態を紹介することとしました。

 チョッキリの面白さは……と聞かれたらハマキチョッキリに代表される姿の美しさと、産卵時における行動の多様性と答えますが、本当は見ていて楽しいからです。

 1センチにも満たない小さな虫が、たくさんの時間をかけて自分よりはるかに大きな葉を切ったり噛んだり、折ったり、ねじったり、行ったり来たりを繰り返しながら幼虫のための巻物(揺籃)を作り上げていく様子は、驚きでありふしぎであり、感動であり。最後は、よくできましたご苦労さんと、声をかけたくなることもあります。

 春は寒い冬を乗り越えた多くの生き物たちが深い眠りから目覚め、活力があふれ出す季節です。私にとっては自然を楽しみ虫を楽しむ季節の始まり。楽しむことは知ることにもつながります。

 柔らかな緑に包まれた野山に出かけてチョッキリやオトシブミたちと出会い、楽しんでみようと思った方が少しでもいてくれたら幸いです。

 最後になりましたが、オトシブミ・チョッキリの研究者である櫻井一彦さん。ずいぶん前のことになりますが、櫻井さんとは共著でオトシブミの本を作ったことがあります。今回は共著ではありませんが、櫻井さんの協力とアドバイスがなければ作れなかった本です。感謝申し上げます。



藤丸篤夫

1953年、東京生まれ。育英工業高等専門学校卒業後、子どものころからの昆虫好きが高じて昆虫を中心とした写真を撮るようになり、コンテスト入賞をきっかけに本格的にその道にすすむようになる。著書に『ハチハンドブック』(文一総合出版刊)、『どんぐりむし』『カラスウリ』(そうえん社刊)、『せんせい! これなあに? いもむし・けむし 』(偕成社刊)、『虫の飼いかたさがしかた』(福音館書店刊)など、「たくさんのふしぎ」には『ハチという虫』などがある。


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2024年3月7日木曜日

 ご飯を炊くということ         

森枝卓士


 1955年に九州の田舎で生まれました。この本で紹介したカマドで炊くご飯、ぎりぎりで覚えています。祖母が薪をくべて、炊いていた光景をうっすらと覚えていて、お焦げのご飯を食べた記憶がある、そんな世代です。

 気がつけば、電気釜になり(そう、電気釜と呼んでいました。いつから、炊飯器と呼ぶようになったのだろう……)、いろいろと使ってきて、気がつけば米のブランドで炊き方が変わるようなものが出来ていたり。やっぱり、こっちが美味しいかと土鍋で炊くのが流行ったり。我が家だけでなく、色々と変遷があったように思います。

「ご飯を炊く」という、私たちの暮らしの中で、基本の基本のようなことが、たかだか数十年で劇的に変わったということです。

 そして、それは日本だけではありませんでした。今回、主にご紹介したタイでも、事情は同じでした。1980年前後にタイに住んでいたのですが、当時は屋台の料理人が、道端で、本の中で紹介した「湯取り法」で炊いているのを見たものでした。そして、なるほど、こういう炊き方もあるのか、いや、アジアではこちらが主流なのかと知ったのでした。気がつけば、どこでも炊飯器がほとんどということになりましたけれど。

 改めてあちこちの国々で買い集めた料理本を見返しても、「ご飯を炊く」ということは、あまりにも当たり前なのか、ほとんど載っていません。なので、「ご飯を炊く」という、当たり前といえば当たり前、料理の基本の基本を改めてちゃんと考えてみたいと思い、出来上がったのがこの本です。

 きっと、読者の皆さんも「作ってみたい」「試してみたい」と思ってくれるはずです。そう願って作りました。

 どうぞ、大人も一緒にいろいろとチャレンジしてみてください。どう炊いたが美味しいか、何を合わせたが美味しいか。一番身近な科学の実験、一番身近な食文化を楽しんで欲しいです。そして、食べるということを、考えて欲しいのです。

 読者の皆さんが料理好きになってくれるだけで、著者の想いは満たされます。

 そうそう。中尾佐助『料理の起源』によれば、昔の日本にも湯取り法に近い調理法もあれば、もち米を蒸したものが主食という時代もあったようです。料理は、食文化は、変化を続けているということでしょう。

 さて、次の世代はどう変える?



森枝卓士

1955年、生まれ育った熊本県水俣市でアメリカの写真家、ユージン・スミスと出会い、報道写真の道を志す。国際基督教大学卒。カンボジアの内戦の取材を経て、食文化を主な取材対象とする。著書に、『食べもの記』、『手で食べる?』、『干したから……』、『線と管のない家(「たくさんのふしぎ」2020年3月号)』『人間は料理をする生きものだ』など。大正大学など多くの大学で、食文化、写真(取材、調査法)等を教えている。


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2024年2月6日火曜日

3月号『かっこいいピンクをさがしに』作者のことば

ゆらゆらピンクへの想い

なかむらるみ 

 この本の構想は、10年ほど前からありました。すこしずつ、すこしずつ、取材をすすめようやく完成しました。
 ピンクへの想いは幼少期にさかのぼります。本編にも登場した「ももいろのきりん」を段ボールで作った思い出。お気に入りだったキキララちゃんのタオルケット。アニメキャラが描かれたピンクのビニルの靴を買ってもらえなかったこと。好きな子にあげたバレンタインのお返しのハンカチが大人っぽいピンクの花柄でうっとりしたこと。ピンクってダサいなと思っていた時代。イラストレーターの仕事を始めて、画面をピンクで塗ったときのパッっと画面が明るくなる瞬間。ピンクを軸にすると、思い出すことがたくさんあって、不思議な色だなと思っていました。  
 10年経つうちに、わたしには娘が生まれました。ピンクばかり選ぶ3歳の娘に「またピンクー?」と、おもわず嫌そうな顔をしてしまい、自分の母親がピンクの靴を買ってくれなかった複雑な気持ちもすこしわかりました。ピンクは、女の子の色だとかジェンダーの問題に引き合いにだされることが多いけれど、ただただ魅力的な色なんだと伝える絵本が作りたいと思っていました。しかし、自分こそがピンクの一側面にとらわれているのではないかなと考えさせられました。絵本の制作が進んで、ピンクへの理解も深まったころ、娘は6歳でピンクは赤ちゃんの色と言いだし、薄紫好きになっていました。
 ピンクが好きと思ったり、嫌いと思ったり、そんなゆれ動く気持ち、みなさんのなかにもありますか? そのゆれ動く気持ちにわたしは惹かれていたのかもしれません。すなおに感じる自分のきもちをだいじにしたいなとおもいます。もしそういう気持ちがみなさんのなかにもあったら、ぜひだいじにしてあげてください。  
 この本は、多くの方に聞いて教えてもらってできあがりました。載せきれなかったたくさんのご協力をいただいたみなさま、本当にありがとうございました。



丸善丸の内本店さんにて
『かっこいいピンクをさがしに』刊行記念のミニ展示を実施中
児童書売り場を出た踊り場のショーケースにて。2月いっぱい🌸
ぜひおでかけください!





なかむらるみ 
1980年生まれ。東京都新宿区在住。イラストレーター。一児の母。武蔵野美術大学造形学部、デザイン情報学科卒業。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。イラストを担当した本は『おじさん酒場』(亜紀書房)『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)など。普段は雑誌、書籍などを中心にイラストを描いている。街ゆく人を眺めること、みんなが気づいてなさそうなものを探すこと、が好きです。https://lit.link/tsumamu 


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2024年1月11日木曜日

藤原辰史さんの選書*藤原さんが中学高校生時代に読んでおけばよかったと思う10冊*

 *藤原さんが中学高校生時代に読んでおけばよかったと思う10冊*


石牟礼道子『あやとりの記』(福音館書店)

このみずみずしい感性は子どもこそ深く届くかもしれない。子どもたちの世界、水俣。


ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)

読んだあと、自分のものの見方の甘さを認識して、呆然とした。衝撃の作品。 


船戸与一『虹の谷の五月』(集英社)

船戸冒険譚は、いつも読む楽しさと、世界の残酷さを同時に教えてくれる。


真藤順丈『宝島』(講談社)

胸が張り裂けそうになって物語を読み終えると、沖縄の本をもっと読みたくなる。


京極夏彦『絡新婦の理』(講談社)

京極レンガ本はどれも睡眠を大量に奪う。犯人は文字通り衝撃だった。


島田荘司『奇想、天を動かす』(光文社)

ミステリーにハマったのはここから。犯人の哀しさにひたすら震える。


堀川惠子『永山則夫』(講談社)

連続殺人犯の心の奥底に、そのたどった経路に、日本近代の闇がはっきりと刻まれている。 


津村記久子『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)

こんな素敵な大人たちがいるんだ日本には、と思う。身寄りのない姉妹の、家庭内暴力からの逃避行の末に。


木村元彦『オシムの言葉』(集英社)

オシム。久しぶりに大人のロールモデルに出会った気がする。ユーゴの悲劇の中、本物の知性。


エリック・シュローサー『核は暴走する 上下』(河出書房新社)

震撼する。核兵器はあるだけで既にこんなにも危険だったのだ。


藤原辰史(ふじはら たつし)

1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。研究テーマは、食と農の現代史。主な著作に『ナチスのキッチン』(共和国、河合隼雄学芸賞)、『給食の歴史』(岩波新書、辻静雄食文化賞)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『分解の哲学』(青土社、サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)、『植物考』(生きのびるブックス)など。