窓にこめられた思い
深井聰男
日本では、窓は柱と柱の間の空間といわれています。
窓と同じように、部屋の一部である「戸」
世界の窓を見ると、
デンマークでは、二重窓の外窓と内窓の間の空間を、
日本でもこれからは、
深井聰男(ふかい あきお)
1944年、東京都生まれ。20代で北欧から中東、
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窓にこめられた思い
深井聰男
深井聰男(ふかい あきお)
1944年、東京都生まれ。20代で北欧から中東、
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「食べること」のさきに
藤原辰史
大人になったいま、野菜も魚も大好きになり、嫌いなものはほとんどありません。みんなと一緒に食べることがとてもすてきなことだということも理解するようになりました。だから、あの頃の不満顔の自分に、食べることの面白さや楽しさを伝えたいという気持ちもずっと持って、文章を書いていました。
もうひとつ考えていたのは、水や土が汚染され、山火事がふえ、水位が上がり続ける危機的な状況である「地球」と、みなさんの「食べること」がまっすぐにつながっていることをどう伝えるかということでした。高校生になると算数と理科を中心に勉強をするか(理系)、国語と社会を中心に勉強するかで(文系)、コースが変わります。私は、国語と理科が苦手で算数と社会が得意だったので、高校生のときとても悩みました。大学になるとさらにどんどんと勉強が専門的になります。
けれども、私は、どんなに大人になっても小学生のようにずっとすべての科目に関心を持ち続けることが、現在の問題を解決する近道だと信じている、専門家集団である大学ではちょっと珍しい研究者です。この絵本で、さまざまな分野から学んだことを総結集させて書いたのも、「これが本当の勉強だよ。じゃないと、いま壊れつつある地球を救えない」と、友だちだけではなく、おとなにも伝えてほしいからです。食べることは、地球の各地にすむ生きものたちと、それを育て、運んで、売ってくれたみなさんと一緒にあなたとがとりおこなう壮大なお祭りだという考えに行きついたのも、できるだけすべての教科をつなげて考えたからでした。
スケラッコさんの自由でパワフルな絵のおかげで、私がぼんやりと考えてきたことが、もっとはっきりと理解できるようになりました。この絵本は、世界の「食べる」ことを学ぶだけではなく、それを変えるためにも必要だと思っています。『食べる』をヒントにしながら、一緒に史上最大の問題に立ち向かいませんか。
藤原辰史(ふじはら たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。研究テーマは、食と農の現代史。主な著作に『ナチスのキッチン』(共和国、河合隼雄学芸賞)、『給食の歴史』(岩波新書、辻静雄食文化賞)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『分解の哲学』(青土社、サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)、『植物考』(生きのびるブックス)など。
化石から古生物を復元する
犬塚則久
何万年も何億年も前の古代生物のことを古生物といいます。化石とは古生物が残した体や糞、卵の殻、足跡、巣穴などです。三葉虫やアンモナイトなど体が硬い殻でおおわれている動物は、そのままの形が化石となります。いっぽう、恐竜やマンモスのようにたくさん骨のある大きい動物は、たいていバラバラの骨化石としてみつかります。ごくまれにほぼ全身の骨が関節した状態で見つかることがあっても、地層のなかに横たわっているので生きていた時の姿とは違います。
そこで、生きていた時の姿をよみがえらせることを復元といいます。今生きている動物なら、バラバラの骨をもとの姿に組み立てるのは簡単です。しかし、大昔にほろびてしまった動物では、お手本になるもとの姿がわかりません。どうすれば正しく復元できるでしょうか。
まずは骨格復元です。骨格とは複数の骨の集まりのことです。たとえばヒトの骨格は206個の骨からなります。恐竜はすべてほろびていますが、魚からけものまで骨のある動物は今でもたくさんいて、骨と骨のつながり方には一定のきまりがあります。個々の骨と骨格との関係からきまりを見つけて、それをもとに骨を組み立てるのです。
ただケン竜の背中の板のように、今の動物にない骨だとむずかしくなります。ツノ竜は100年も前から見つかっていましたが、前足の形や頭の向きがはっきりしたのはつい最近のことです。
次は肉と皮ふのついた姿の復元です。肉や皮ふは化石に残らないので、骨格復元よりたいへんです。肉のつき方は最も近い親戚のワニを参考にします。皮ふや目や耳など、ワニの種類によって違いの大きいものはほとんどわかりません。哺乳類はたいていまわりの景色にとけ込んだ保護色をしています。ただし個々の種類の柄はまちまちです。今の爬虫類や鳥には派手な色がたくさんみられるので、個々の恐竜の色やもようについては全く手がかりがないといえます。
最後は暮らしの復元です。どんな所にすんで、どういう歩き方をし、何を食べていたのか、ということです。色々な化石のうち、体以外のものは生活のあとを示すので、生痕(せいこん)化石といいます。まわりの環境は、地質学と顕微鏡で見られる細かい化石から推定します。恐竜の歩き方は、体の大きさと解剖学、足跡の化石と振り子の物理学、今の動物の歩き方を組みあわせて考えます。食べ物は同じ時代の植物化石と、歯やあごの形や体つき,それに糞の化石をもとに推定します。ただし、生痕化石はどの恐竜のものかの見きわめがたいへんです。
犬塚則久
理学部で動物化石を学び、医学部で解剖学を教える。化石の骨格復元で理学博士。古脊椎動物研究所の代表。骨の化石の形を今の動物と比べたり、働きを考えたりしながら、生きていた時の姿を復元しようとしている。著書に『しっぽがない!』(「たくさんのふしぎ傑作集 福音館書店)、『恐竜の骨をよむ』『退化の進化学』(講談社)、『恐竜復元』(岩波書店)など。
男性がつくった? 世界初の万国博覧会
村上リコ
この本は、世界で最初の万国博覧会がひらかれたときのいきさつを、できるだけわかりやすく伝えるために、登場人物やエピソードをぐっとしぼりこんで書きました。
少しずつ、少しずつ、何度も手直ししながら作っていきましたが、途中で気づいてしまったのです。「あれ? この本、女の人がほとんど出てこない……?」。名前が出てくるのはヴィクトリア女王とパクストンの娘のアニーの二人。私は歴史のなかの女性の人生を知るのが好きなので、少し残念でしたが、仕方のないことでもあります。
19世紀、イギリス社会の多くの場面で、女性は男性と同等の権利がありませんでした。建築家や庭師はほとんど男性でした。女性は公的な会議でスピーチなどするものではないと誰もが思い込んでいたので、アルバートが総裁をつとめた「王立委員会」にも「建築委員会」にも女性メンバーはいませんでした。水晶宮が作られたとき、彼女たちはどこで何をしていたのでしょう?
もちろん多くの女性が、前代未聞の一大イベントの行方に興味津々でした。パクストンの妻のサラは、夫の仕事の共同経営者のような存在で、彼がいそがしく各地を飛びまわるあいだ、公爵邸の状況を手紙で知らせ、雇っている職人に指示を出し、給料の支払いもしていました。パクストンが水晶宮の建物を最初に思いついたとき、インクの吸い取り紙に書き留めたスケッチは、サラが大事にとっておいたおかげでロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に所蔵されています。
ヴィクトリア女王は、アルバートのように直接かかわることはありませんでしたが、「女王は万博の開催に賛成している」という態度を示すことで、味方を増やしました。女王づき女官のリーダーだったサザランド公爵夫人ハリエットは、自分と同じような貴族や大臣の妻たちといっしょに、万博を支援する「レディの委員会」を結成し、寄付金集めのパーティーを自宅でひらきました。当時の女性は、自分の意見をひろめるために、このようにプライベートな人づきあいを使いました。
今の日本では、公的な場で意見を発表することは性に関係なくできます。……と、いうことになっています。いいにくい場面は誰しも、まだまだあるかもしれませんが。これから先の万博は、誰が、どのように作るのでしょう。どんな内容がいいか、あるいは、もうやらないほうがいいのか。注意して見守っていきたいと思っています。
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| サザランド公爵夫人が「レディの委員会」を結成した時の様子。 「絵入りロンドンニュース」1850年3月9日号より |
村上リコ
千葉県出身、文筆・翻訳家。東京外国語大学卒業。19世紀から20世紀にかけてのイギリスの日常生活を調べて書くことを専門にしている。主な著書に『図説 英国メイドの日常』『図説 英国執事』(河出書房新社)など。翻訳書にアニー・グレイ、アンドリュー・ハン『ミセス・クロウコムに学ぶ ヴィクトリア朝クッキング』(ホビージャパン)など。『英國戀物語エマ』『黒執事』ほか、アニメやマンガの考証アドバイザーも務める。
10月号『いろいろ色のはじまり』作者のことば
忘れられた色をつくる
田中陵二
人間は色が大好きです。文字を考え出すずっと前から、石から色をとり出し、洞窟の壁画などをぬっていました。そのうち、人間の色に対する思いはどんどん深くなり、性能が高く美しい色をもっと自由につかいたくなり、色のもとになる石や草花を調べて、色のからくりを探っていきました。これが今の「化学」のはじまりです。そこで私も、庭で古い色をひとつずつ、昔のやり方で作ってみることにしました。
実際にやってみると、予想よりずっと難しいことがわかりました。例えばプルシアンブルーでは、牛の血をやいたものにローハを混ぜるとできると本にはあるのです。でも、このとおりにガラスの試験管で焼いてやってみても青くなりません。これは、明治時代の本を読んで、やっと原因がわかりました。鉄のかまをつかっていて、このかまがすり減って、プルシアンブルーの鉄分になっていたのです。そこで、鉄さびを加えたら、やっときれいな青になりました。
朱を探すのは、もっとこわい問題がありました。北海道の道の無い山に入るのですが、新しい大きな親子のヒグマの足跡がそばについていて、すぐそばにヒグマがすんでいるのは明らかです。子連れクマにあったら大けがどころではすみません。笛をふいて石を叩きながら、クマが来ないよう祈りながら朱をやっと見つけました。
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化学者の田中さん。研究所にて新しい色素や物質の研究、 開発をしています。これは田中さんがつくっている新しい色素 |
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| 一枚絵付録「幻の色ポスター」全64色に掲載した色たちの一部。 田中さんが一色一色、鉱物や植物などの原材料をもとめ、 色を再現し、パネルに塗ったり、布を染めた。 下段中央は、エジプトのミイラからつくられた色「マミーブラウン」 |
植物染料の古いレシピはうまくできていて、その大部分は化学反応なのがわかりました。藍を溶かして布を染めるのも、ベニバナの花の色をもらうのも。でも、そんな化学のからくりは昔の人は知りませんから、試行錯誤して見つけたのでしょう。どういう方法で見つけたのかはわかりませんが、うまくやったなぁ、と感じます。
私は化学者です。毎日、フラスコの中で薬品を反応させて、今まで誰も作ったことのない物質や色素を作っています。そんなときに、昔の人がどう苦労したのか、どうやって多くの知識をためていったのかを思います。科学はつみかさね。古いたくさんの経験や知識の上に、今の科学ができあがっているのです。
田中陵二
1973年、群馬県生まれ。(公益財団法人)相模中央化学研究所主任研究員。東海大学理学部化学科客員教授。群馬大学大学院工学研究科博士後期課程修了。科学技術振興機構研究員などを経て現職。専門は有機・無機ケイ素化学、結晶学および鉱物学。マクロ科学写真の撮影もおこなう。共著に『よくわかる元素図鑑』(PHP研究所)、『超拡大で虫と植物と鉱物を撮る』(文一総合出版)、監修に『GEMS 美しき宝石と鉱物の世界』(東京書籍株式会社)などがある。2013年より月刊誌『現代化学』(東京化学同人)にて「結晶美術館」を連載中。たくさんのふしぎは、『石は元素の案内人』(昨年8月号・品切れ)に続き2作目。