ご飯を炊くということ
森枝卓士
1955年に九州の田舎で生まれました。この本で紹介したカマドで炊くご飯、ぎりぎりで覚えています。祖母が薪をくべて、炊いていた光景をうっすらと覚えていて、お焦げのご飯を食べた記憶がある、そんな世代です。
気がつけば、電気釜になり(そう、電気釜と呼んでいました。いつから、炊飯器と呼ぶようになったのだろう……)、いろいろと使ってきて、気がつけば米のブランドで炊き方が変わるようなものが出来ていたり。やっぱり、こっちが美味しいかと土鍋で炊くのが流行ったり。我が家だけでなく、色々と変遷があったように思います。
「ご飯を炊く」という、私たちの暮らしの中で、基本の基本のようなことが、たかだか数十年で劇的に変わったということです。
そして、それは日本だけではありませんでした。今回、主にご紹介したタイでも、事情は同じでした。1980年前後にタイに住んでいたのですが、当時は屋台の料理人が、道端で、本の中で紹介した「湯取り法」で炊いているのを見たものでした。そして、なるほど、こういう炊き方もあるのか、いや、アジアではこちらが主流なのかと知ったのでした。気がつけば、どこでも炊飯器がほとんどということになりましたけれど。
改めてあちこちの国々で買い集めた料理本を見返しても、「ご飯を炊く」ということは、あまりにも当たり前なのか、ほとんど載っていません。なので、「ご飯を炊く」という、当たり前といえば当たり前、料理の基本の基本を改めてちゃんと考えてみたいと思い、出来上がったのがこの本です。
きっと、読者の皆さんも「作ってみたい」「試してみたい」と思ってくれるはずです。そう願って作りました。
どうぞ、大人も一緒にいろいろとチャレンジしてみてください。どう炊いたが美味しいか、何を合わせたが美味しいか。一番身近な科学の実験、一番身近な食文化を楽しんで欲しいです。そして、食べるということを、考えて欲しいのです。
読者の皆さんが料理好きになってくれるだけで、著者の想いは満たされます。
そうそう。中尾佐助『料理の起源』によれば、昔の日本にも湯取り法に近い調理法もあれば、もち米を蒸したものが主食という時代もあったようです。料理は、食文化は、変化を続けているということでしょう。
さて、次の世代はどう変える?
森枝卓士
1955年、生まれ育った熊本県水俣市でアメリカの写真家、ユージン・スミスと出会い、報道写真の道を志す。国際基督教大学卒。カンボジアの内戦の取材を経て、食文化を主な取材対象とする。著書に、『食べもの記』、『手で食べる?』、『干したから……』、『線と管のない家(「たくさんのふしぎ」2020年3月号)』『人間は料理をする生きものだ』など。大正大学など多くの大学で、食文化、写真(取材、調査法)等を教えている。
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