カモシカが教えてくれる
前川貴行
これまで、本当にたくさんの動物たちの写真を撮ってきました。振り返ってみても、よくこれだけ数多くの動物たちに出会えたものだと思います。
そのなかでも下北半島にすむニホンカモシカは、僕にとって特別な存在です。カモシカのことを気に入っていることもありますが、他にも理由があります。
ニホンカモシカは長いあいだ、特別天然記念物として保護されてきたこともあり、個体によってはそれほど人のことを警戒しません。だから驚かせないようにすれば、かなり長い時間追いかけることができます。これまで最も長く追いかけたのは8時間程です。
アップダウンの激しい山の中を長時間追いかけるのは大変です。でもその大変さが、動物写真家としての僕を鍛えてくれるのです。
体力的なことにくわえて、いかにそばに居続けることをカモシカに許してもらえるか。下北半島でカモシカを追うことは、野生動物撮影の基本になるのです。
デスクワークが重なって長期間フィールドに出られなかったとき、鈍ってしまったかもしれない撮影の感覚を呼び覚ますため、僕は下北半島に行ってカモシカを追います。そうすると、急峻な山を歩く体力と、動物と向き合う感覚がよみがえってきて、まだまだがんばれると自信が湧いてくるのです。
この本の主人公である「パール」は今年10歳になりました。本文の最後に出てきた昨年生まれの子どもは「しろ」と名づけられました。
ユースホステルの磯山さんが報告してくれたのですが、今年の5月に「パール」がまた赤ちゃんを産みました。そのとき僕は北海道にいたのですが、函館からフェリーに乗って下北半島に渡り、「パール」に会いに行きました。
そうしたら、「パール」が赤ちゃんを連れて目の前に現れたのです。その赤ちゃんは磯山さんによって「あお」と名づけられました。性別はまだ分かりませんが、とても活発な赤ちゃんです。
別の場所では「しろ」も元気な姿を見せてくれました。厳しい冬を無事乗り越えたのですね。
今、牛の首には「パール」と1歳の「しろ」、それに赤ちゃんの「あお」がいます。「パール」の母親ぶりは、貫禄がついてとても堂々としたものでした。なにより「パール」が元気でいてくれたことが嬉しかったです。
僕は「パール」と見つめ合うと、なんとも言えない温かな気持ちに満たされるのです。
作者紹介
■ 前川 貴行(まえかわ たかゆき)
1969年東京都生まれ。動物写真家。エンジニアとしてコンピューター関連会社に勤務した後、26歳の頃から独学で写真を始める。1997年より動物写真家・田中光常氏の助手をつとめ、2000年よりフリーの動物写真家としての活動を開始。日本、北米、アフリカ、アジア、そして近年は中米、オセアニアにもそのフィールドを広げ、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展など、多くのメディアでその作品を発表している。