2023年1月6日金曜日

 

3月号『津津浦浦』

作者のことば

航の路、鉄の道(ふねのみち、てつのみち) 

野坂勇作


 ぼくの家のすぐそばを半世紀前まで電車が走っていた。けれどもぼくは絵本作りのため、その後年になって広島から越して来たので、その姿を知らない。「法勝寺電車」と呼ばれ、米子市やその周辺の町村の人たちから愛されたけれど、バスや自動車の普及で、惜しまれつつ四十三年の運行に幕をおろした。線路幅が狭く、小型の車両を用いたいわゆる軽便鉄道というやつだ。

 米子市駅から西伯郡の法勝寺駅に向けて、途中に九駅を設けていた。のちに支線もできたけれど、こちらは程なく休止になってしまう。法勝寺電車の名は終点の法勝寺という地区名からきているけれど、そもそもは川の名で、法勝寺川に沿うように電車が走ることに由来するらしい。もちろん、ぼくの家のそばにもこの川は流れている。

 十年程前に『法勝寺電車廃線路ウォーク』と銘打ったイベントが催された。記憶では当時の車両が保存されている市中心部の広場から、始発駅を経由して、終点駅までの約十五キロメートルを、当時に思いをはせながら歩く、というコンセプトだった。

 鉄ちゃんのぼくとしては願ってもない企画である。しかも途中の昼食タイムには好物の手打ち蕎麦がワンコインで食べられるというのだからたまらない。まさに一石二鳥である。しかし軽自動車が足がわりのここ山陰では脚力がなえていて、後半はヘトヘトになって法勝寺駅跡にたどりついたことを覚えている。

 実際に廃線跡を歩いてみると、色々なことがわかった。この路線には法勝寺川を渡る橋が一カ所あるだけでトンネルはない。山際の平らな所を、なるべくお金をかけずに作った感が見てとれる。もう少し注意深く見ると、川と山との間にスペースがある所では、線路は川からやや離れた所に敷かれている。きっと大雨による増水を考えてのことだろうと思った。

 実はこの路線にも天津と氵のつく駅があった。手にした地図をのぞくと、法勝寺川と大谷川が合わさるあたりに位置している。鉄道のなかったころは、川の上流から来る人や物の中継所があったのかもしれないし、こちら岸からむこう岸に向かう船の渡し場だったのかもしれない。花嫁さんも船に揺られて、とついで行ったのかな……。思いは巡り巡り巡るのである。

 私たちの国は海に囲まれた山国であり、雨の多い川の国でもある。こうした国は数少ない。今、時代の大きな曲がり角にあって、船運と鉄道のコラボレーションをもう一度考えてみてはどうだろうか。決して懐かしさからだけで言っているのではない。




野坂勇作

1953年、島根県松江市生まれ。広島で育つ。多摩美術大学工業デザイン科中退。その後、佐渡島で農業に従事するかたわら、ミニ・コミ誌「まいぺーす」を編集。絵本『ちいさいおうち』(岩波書店)に再会することで、絵本を描きはじめる。主な作品に『にゅうどうぐも』、『しもばしら』、『あしたのてんきは はれ? くもり? あめ?』、『どろだんご』、『うきくさ』(「かがくのとも」2020年10月号)、『もやし』(同2018年5月号)、『オレンジいろのディーゼルカー』(「こどものとも年少版」2010年6月号)、『みずうみおばけ』(同2022年9月号・以上福音館書店)、『うたえ ブルートレイン』(金の星社)など。鳥取県在住。


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