10月号『いろいろ色のはじまり』作者のことば
忘れられた色をつくる
田中陵二
人間は色が大好きです。文字を考え出すずっと前から、石から色をとり出し、洞窟の壁画などをぬっていました。そのうち、人間の色に対する思いはどんどん深くなり、性能が高く美しい色をもっと自由につかいたくなり、色のもとになる石や草花を調べて、色のからくりを探っていきました。これが今の「化学」のはじまりです。そこで私も、庭で古い色をひとつずつ、昔のやり方で作ってみることにしました。
実際にやってみると、予想よりずっと難しいことがわかりました。例えばプルシアンブルーでは、牛の血をやいたものにローハを混ぜるとできると本にはあるのです。でも、このとおりにガラスの試験管で焼いてやってみても青くなりません。これは、明治時代の本を読んで、やっと原因がわかりました。鉄のかまをつかっていて、このかまがすり減って、プルシアンブルーの鉄分になっていたのです。そこで、鉄さびを加えたら、やっときれいな青になりました。
朱を探すのは、もっとこわい問題がありました。北海道の道の無い山に入るのですが、新しい大きな親子のヒグマの足跡がそばについていて、すぐそばにヒグマがすんでいるのは明らかです。子連れクマにあったら大けがどころではすみません。笛をふいて石を叩きながら、クマが来ないよう祈りながら朱をやっと見つけました。
化学者の田中さん。研究所にて新しい色素や物質の研究、 開発をしています。これは田中さんがつくっている新しい色素 |
一枚絵付録「幻の色ポスター」全64色に掲載した色たちの一部。 田中さんが一色一色、鉱物や植物などの原材料をもとめ、 色を再現し、パネルに塗ったり、布を染めた。 下段中央は、エジプトのミイラからつくられた色「マミーブラウン」 |
植物染料の古いレシピはうまくできていて、その大部分は化学反応なのがわかりました。藍を溶かして布を染めるのも、ベニバナの花の色をもらうのも。でも、そんな化学のからくりは昔の人は知りませんから、試行錯誤して見つけたのでしょう。どういう方法で見つけたのかはわかりませんが、うまくやったなぁ、と感じます。
私は化学者です。毎日、フラスコの中で薬品を反応させて、今まで誰も作ったことのない物質や色素を作っています。そんなときに、昔の人がどう苦労したのか、どうやって多くの知識をためていったのかを思います。科学はつみかさね。古いたくさんの経験や知識の上に、今の科学ができあがっているのです。
田中陵二
1973年、群馬県生まれ。(公益財団法人)相模中央化学研究所主任研究員。東海大学理学部化学科客員教授。群馬大学大学院工学研究科博士後期課程修了。科学技術振興機構研究員などを経て現職。専門は有機・無機ケイ素化学、結晶学および鉱物学。マクロ科学写真の撮影もおこなう。共著に『よくわかる元素図鑑』(PHP研究所)、『超拡大で虫と植物と鉱物を撮る』(文一総合出版)、監修に『GEMS 美しき宝石と鉱物の世界』(東京書籍株式会社)などがある。2013年より月刊誌『現代化学』(東京化学同人)にて「結晶美術館」を連載中。たくさんのふしぎは、『石は元素の案内人』(昨年8月号・品切れ)に続き2作目。
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