2023年10月6日金曜日

11月号『ロンドンに建ったガラスの宮殿 最初の万国博覧会』作者のことば

 男性がつくった? 世界初の万国博覧会         

村上リコ


 この本は、世界で最初の万国博覧会がひらかれたときのいきさつを、できるだけわかりやすく伝えるために、登場人物やエピソードをぐっとしぼりこんで書きました。

 少しずつ、少しずつ、何度も手直ししながら作っていきましたが、途中で気づいてしまったのです。「あれ? この本、女の人がほとんど出てこない……?」。名前が出てくるのはヴィクトリア女王とパクストンの娘のアニーの二人。私は歴史のなかの女性の人生を知るのが好きなので、少し残念でしたが、仕方のないことでもあります。

 19世紀、イギリス社会の多くの場面で、女性は男性と同等の権利がありませんでした。建築家や庭師はほとんど男性でした。女性は公的な会議でスピーチなどするものではないと誰もが思い込んでいたので、アルバートが総裁をつとめた「王立委員会」にも「建築委員会」にも女性メンバーはいませんでした。水晶宮が作られたとき、彼女たちはどこで何をしていたのでしょう?

 もちろん多くの女性が、前代未聞の一大イベントの行方に興味津々でした。パクストンの妻のサラは、夫の仕事の共同経営者のような存在で、彼がいそがしく各地を飛びまわるあいだ、公爵邸の状況を手紙で知らせ、雇っている職人に指示を出し、給料の支払いもしていました。パクストンが水晶宮の建物を最初に思いついたとき、インクの吸い取り紙に書き留めたスケッチは、サラが大事にとっておいたおかげでロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に所蔵されています。

 ヴィクトリア女王は、アルバートのように直接かかわることはありませんでしたが、「女王は万博の開催に賛成している」という態度を示すことで、味方を増やしました。女王づき女官のリーダーだったサザランド公爵夫人ハリエットは、自分と同じような貴族や大臣の妻たちといっしょに、万博を支援する「レディの委員会」を結成し、寄付金集めのパーティーを自宅でひらきました。当時の女性は、自分の意見をひろめるために、このようにプライベートな人づきあいを使いました。

 今の日本では、公的な場で意見を発表することは性に関係なくできます。……と、いうことになっています。いいにくい場面は誰しも、まだまだあるかもしれませんが。これから先の万博は、誰が、どのように作るのでしょう。どんな内容がいいか、あるいは、もうやらないほうがいいのか。注意して見守っていきたいと思っています。


サザランド公爵夫人が「レディの委員会」を結成した時の様子。
「絵入りロンドンニュース」1850年3月9日号より



村上リコ

千葉県出身、文筆・翻訳家。東京外国語大学卒業。19世紀から20世紀にかけてのイギリスの日常生活を調べて書くことを専門にしている。主な著書に『図説 英国メイドの日常』『図説 英国執事』(河出書房新社)など。翻訳書にアニー・グレイ、アンドリュー・ハン『ミセス・クロウコムに学ぶ ヴィクトリア朝クッキング』(ホビージャパン)など。『英國戀物語エマ』『黒執事』ほか、アニメやマンガの考証アドバイザーも務める。


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